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土曜日の夜、急に「コシのあるうどん」と「ちくわ天」が恋しくなった話

土曜日の、ちょうど夕食時を少し過ぎた頃だった。

いつもなら、炊きたての玄米にサバ缶を合わせる。

高タンパクでクリーンな「引き算の食事」で淡々と一日を締めくくるのが、私の定番だ。

身体をニュートラルに保ち、無駄なエネルギーを削ぎ落とすそのメニューは、自分の生活の軸である。

それは自分にとって、お気に入りのルーティンでもあった。

しかし、今夜は違かった。

前触れもなく、本当に唐突に、頭の中に一つのイメージが強烈に浮かび上がってきた。

──うどんが食べたい。

それも、出汁を優しく吸った柔らかいものではない。

顎を押し返すほどの強烈な「コシ」を持った、あの純白の太麺だ。

環境の傍らには、揚げたてで衣がサクサクとした「ちくわの天ぷら」が絶対に添えられていなければならない。

一度その欲求が頭をもたげると、もう玄米の気分には戻れなかった。

大人の日常には、時としてこうした「理屈抜きの衝動」が訪れる。

今夜は、その衝動に素直に身を任せてみることにした。

目次

私たちが「コシ」に惹かれる理由

うどんの好みを語る時、必ずと言っていいほど「コシ」の有無が議論の対象になる。

私が暮らす関西は、どちらかといえば柔らかく、お出汁の旨味をじっくりと味わせるうどんが主流の地域だ。

それはそれで素晴らしい文化だと思う。

疲れた身体にじんわりと染み渡る優しさがある。

だが、私の心が本能的に求めてしまうのは、やはりあの圧倒的な「コシ」なのだ。

箸で持ち上げた瞬間に、ずっしりとした重量感を感じる麺。

口に含み、歯を立てた瞬間に、滑らかな表面の奥から現れる力強い反発力。

噛めば噛めばほど、小麦本来の素朴な甘みと香りが口の中に広がっていく。

あの食感は、単なる「食べ応え」という言葉だけでは片付けられない、妙な中毒性を持っている。

よく「うどんのコシとは、単に硬いことではない」と言われる。

ただ硬いだけの麺は、芯が残っているだけで喉越しが悪い。

本物のコシとは、表面はどこまでも滑らかで艶やかである。

それでいて中心に向かっていくにつれて、しなやかでタフな弾力を発揮する状態を指す。

この「表面は柔らかく、芯はどこまでも強い」という構造は、なんだか人間の理想的な在り方にも似ている気がする。

世間の荒波や日々の忙しさに対して、表面は柔軟にしなやかに受け流す。

けれど、自分自身の中心にある「軸」や「信念」だけは、決して折れずに強い弾力を持って踏みとどまる。

そんなブレない強さを、私はうどんのコシに重ね合わせているのかもしれない。

……というのは流石に理屈が過ぎるが、それくらい、あの噛みごたえには男心をくすぐるロマンがある。

うどんを啜るのではない。

あの強靭な麺と、正面から対峙するように噛み締める。

その時間が、たまらなく愛おしいのだ。

なぜ、海老天ではなく「ちくわ天」なのか

そして、うどんの相棒として外せないのが天ぷらだ。

天ぷら定期券やセルフうどん店のレーンに並ぶ時、目の前には様々な種類の天ぷらが黄金色の衣をまとって鎮座している。

大ぶりの海老天、ジューシーな鶏天、甘みの詰まったサツマイモ天、ボリューム満度のかき揚げ。

どれも力的だ。

贅沢な気分を味わうなら海老天を選ぶのが王道なのかもしれない。

しかし、私の指がトングで挟むのは、決まって「ちくわ天」だ。

ちくわ天には、他の高級食材にはない「絶対的な安心感」と「引き算の美学」がある。

そもそも、ちくわという食材自体、決して派手なものではない。

魚のすり身を練って焼いた、昔ながらの庶民の味方だ。

だが、こいつに衣をまとわせ、油の中に潜らせた瞬間、とんでもない大化けを果たす。

ちくわ天の最大の強みは、その「形状」にある。

中央が空洞になっているあの筒状の形こそが、天ぷらとしての完成度を極限まで高めている。

油の中で熱が均一に通り、外側の衣はサクサクに仕上がる。

その一方で、内側の空洞部分にも熱気がこもり、ちくわ本来の旨味と水分がギュッと閉じ込められるのだ。

一口かじると、まず「サクッ」という軽快な音が響く。

続いて、ちくわ特有の「むにゅっ」とした弾力ある食感が追いかけてくる。

うどんのコシとはまた違った、練り物ならではの心地よい食感のコントラスト。

そして何より、ちくわ天はお出汁との相性が怪物級に良い。

最初はサクサクの衣をそのまま楽しむ。

中盤からはうどんの温かいお出汁に少し浸してみる。

衣が出汁をたっぷりと吸い込み、少しふやけたところをうどんと一緒に口に運ぶ。

出汁の旨味と、油のコク、そしてちくわの塩気が三位一体となる。

これが、プレーンなうどんを最高の御馳走へと引き上げてくれるのだ。

高級な海老天は、主役であるうどんを喰ってしまいそうになるほどの存在感がある。

しかし、ちくわ天は違う。

自らも抜群に美味い。

それでいて、うどんの引き立て役に徹する謙虚さがある。

飾らない、気取らない、だけど絶対に期待を裏切らない。

この「ちくわ天」という選択こそが、「17note」が目指すミニマルでソリッドな生き方に、最もふさわしいサイドメニューだと思うのだ。

完璧を求めない、土曜日の余白

今夜は、お気に入りの器に熱々のうどんを盛り付けた。

そこに大きなちくわ天を堂々と横たえた。

科学的な栄養管理や、プロテイン中心のストイックな生活から見れば、夜遅くに炭水化物の塊であるうどんを食べるのは「バツ」がつく行為かもしれない。

揚げ物である天ぷらを合わせるのも同様だ。

糖質と脂質の組み合わせは、ボディメイクの教科書には「控えるべき」と書かれている。

だが、私はそれでいいと思っている。

自分の生活の主導権は、教科書ではなく、常に自分自身が握っている。

毎日を完璧な100点満点で過ごそうとすると、どこかで心が息切れしてしまう。

大事なのは、1本の線をピンと張り続けることではない。

時には適度な「弛み(たるみ)」や「余白」を作ることだ。

そうして長く、淡々と継続していくことこそが重要である。

金曜日にビールを飲み、土曜日に大好きなうどんを啜る。

そうして得られた精神的な満足感は、明日からのトレーニングのエネルギーになる。

日々の仕事を全うするための糧にもなる。

「食べたい」と思った時に、その声に素直に従う。

一杯のうどんを全力で、丁寧に味わう。

それこそが、健康的に生きるということの本質ではないだろうか。

明日へのログを繋ぐ

器の中が空になり、残ったお出汁を最後の一滴まで飲み干した。

その時、お腹の底からじんわりと温かい幸福感が広がっていくのを感じた。

頭の中にあったモヤモヤとした欲求が、綺麗に満たされて消えていく。

これで、今夜のミッションはコンプリートだ。

ブログの毎日更新というノルマも、こうして自分の「うどん愛」を熱く語ることで、無事にクリアすることができた。

何気ない日常の、ふとした食欲。

そんな些細な出来事も、こうして文字として残しておく。

そうすることで、自分だけのライフログ(Journal)になっていく。

お腹も心も満たされた。

明日は日曜日だ。

リチャージされたエネルギーを携えて、またいつも通り、ぼちぼち身体を動かすとしよう。

みなさんも、お気に入りの夜食とともに、良い週末の夜を。

明日もまた、淡々と。

 

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